秋葉原無差別殺傷事件死刑執行

2022年7月26日、秋葉原無差別殺傷事件の犯人である死刑囚(K氏とする。)の死刑が執行された。

秋葉原無差別殺傷事件では7人の方が亡くなり、10人の方がケガを負った。亡くなった被害者、突然家族を失ったご遺族の方々の心情を考えると、今でも心が痛む。ケガを負われた被害者は、肉体的な傷だけでなく、心にも傷が残っていることだろう。

 

秋葉原無差別殺傷事件が発生した2008年6月、私は司法修習生で、刑事裁判の実務修習中のため東京地方裁判所の刑事部に配属されていた。私は、司法修習中に当該事件の司法手続き(裁判所、検察、弁護人いずれも)には関与していない。弁護士登録後も関与していない。もっとも、刑事裁判実務修習で令状部の修習があり、たまたま令状部修習日に当該被疑者の勾留質問が予定されていたようだが、当該事件は重大事件のため司法修習生には立ち会いはさせられないとの説明を受けて、それはそうだと思ったくらいの、事件との距離関係である。

 

事件当日は休日で、私は、修習同期と地域の公民館の一室を借りて、民事要件事実や刑事事実認定の私的な勉強会をしていたと思う。秋葉原を訪問して事件に巻き込まれていないかと心配した親から携帯電話に着信とメールがあったが、メールを見て何のことだかわからず、帰宅後にテレビをつけて事件発生を知った。受傷者が多数いて複数の大学病院に搬送された、という報道であった。犯人確保の瞬間の静止画像も流れていた。被害者を救助しようとする救急隊員、警察官などの画像も流れていた。非常に大きい精神的衝撃を受けた。ショックで覚醒したのか当日夜はなかなか寝付けなかった。

 

翌日以降、事件に関する報道が繰り返され、K氏の経歴が明らかになっていった。青森出身であること、青森高校を卒業していること、事件の数日前まで派遣社員として勤務していたこと。

さらに驚いたのは、K氏の中学生時代の写真画像がテレビに流れていて、K氏が着用していたジャージが私の出身中学のものであったことである。

つまり、私とK氏は1学年違い(私は1981年生まれ、K氏は1982年生まれ)であるが、同一の中学、高校を出ているということである。報道に携わる人から、おそらく当時の卒業アルバム等から連絡先を知ったのであろうか、実家に(私宛に)、報道に使用したいのでK氏の写真があれば提供してほしい旨の連絡があったようだ。

地元の同じ中学、高校を卒業した同窓生が起こした事件ということで、私は更に衝撃を受けた。私はK氏と面識はない(と思う)が、共通の知人等はいるであろう。

 

報道では事件の背景・理由が様々に報じられたが、その後の裁判でK氏が述べた背景・理由は、報道内容とはだいぶ異なっていた。

私も、地元の同じ中学、高校を卒業した1年違いの同窓生が起こした事件ということで関心をもち、事件について書かれた本を読んだり、K氏の手記を読んでみたりした。私なりにK氏の説明を噛み砕いてみると、K氏は、自己の不平不満などを他者に伝える際に、言葉ではなく非言語的行動を用いて他者に気づいてもらう、という方法をとっていた。K氏は、インターネット掲示板でのやりとりについて自身が不満を持っていることを他者に理解してもらうために事件を起こした、というのが事件の動機である。しかし、その動機・理由について、私は未だによく理解、納得できていない。腑に落ちない。生育環境に特徴があったようだが、生育の過程で、自己の意思・不満を言語で表現するのではなく非言語的行動で表現するような気質になってしまったのだろうか、と考えている。

 

他方で、当時盛んに報道された、派遣社員の待遇・派遣切りをめぐる社会情勢は、本件事件の動機ではないとK氏が刑事公判で述べたとのことであった。私が大学卒業した2004年は就職氷河期で、2008年ころはサブプライムローン問題を契機とする金融危機のさなかにあり同年には派遣切りなどが社会問題となり、2008年秋にはリーマンショックが発生していたが、社会情勢ではなく個人的な事件背景・理由があったということであろう。

 

いずれにしても、被害者の立場を考えると、いかなる理由であっても被害を受けるべき理由にはならない。

 

そして、私がK氏と同じ中学、高校を卒業した1学年違いということをきっかけに、事件からこれまで14年間考え又感じているのは、私が今の立場・状況にあるのは、巡りあわせの結果、諸々の偶然的な境遇の結果であって、もし私がK氏の生育環境、進路状況にあれば同じ立場になっていたかもしれない、という虞である。

 

 

 

(この内容は、一定期間掲載後削除する予定です。)